『無名の順礼者』#8-62022/02/05 14:51


>祈りの力

 祈りは実に活動的で効力に富んでいるの
 で、祈りをしてから自分のしたことを行うよ
 うにすれば、祈りが適切で正しい行動を取
 らせてくれるものである。
 神をお喜ばせする信心深く聖なる生き方を
 するためには、愛ほど大切なものはない。
 先ず愛し、それから何でもしたいと思うこと
 をするがいい(聖アウグスチヌス)。

 何故なら、心が愛に満ちた者は、自分の
 愛している者の気持ちを害するようなこと
 をしようとは思わないからだ(祈りとはほと
 ばしる愛の行為だからこそ、こういうことも
 言える)。
 
 救いを得るには、規則正しく祈ることに優
 るものは多い。そうすれば祈りと聖性とに
 到達し、別人となることができるだろう。

 (イ)心に浮かぶ思いは祈りによって清め
    られるものであるから、祈ってからも
    のを思うがよい。祈りが心を照らし、
    不敬な思いを鎮め退散させる。
    「心を乱す思いを追い散らし、心を
     清めたいなら祈りによって実践す
     ることである」(シナイの聖グレゴリウス)
    「イエスのみ名によって心の思いに挑
     む敵を打ち負かすようにせよ」
     (聖ヨハネ・クリスマス)

 (ロ)先ず祈ってから、望むことを行うように
    するがよい。そうすれば行いは信心深
    く、良い結果をもたらすものとなり、救い
    に役立つことだろう。目的が何であるか
    に拘わらず始終祈ることは必ず報われ
    るのである。祈りには神のお力が備
    わっているからである。

 (ハ)祈るがいい。己の力で情欲に打ち克と
    うとして必死で頑張らぬことだ。祈りが
    人間の内にある情欲を滅ぼしてくれる。
    神は人間が祈りに専念するのを願って
    おられるのを信じることである。そうす
    れば祈りが救ってくれる(聖ヨハネ・カルパトス)

 (ニ)ひたすら祈り、その他のことは気遣わ
    ないようにするがよい。苦労や不運を
    恐れてはならない。祈りがどんな時に
    も守り、力づけてくれるのだから。
    信仰心が足りなかったために溺れか
    けたペトロのことを思い出すがよい。
    牢の中で祈っていたパウロのこと・・・
    イエス・キリストの名によって唱える祈り
    の力と、効力と、普遍性を思い出す
    ことである。

 (ホ)どんなにぞんざいな祈りであろうと絶え
    間なく祈り、何事にも心を乱すことのな
    いように、心楽しく、安らいでいるように、
    祈りが生き方を導き、理解を与えてくれ
    るのだから。
    「祈りは罪に満たされた我々の内から
     生じたものではあっても、たちまちの 
     うちに罪は清められる」
      (聖ヨハネ・クリソストムス)
    「祈ろうと努力することは人間にもできる。
     しかし純粋に祈るという力は恩寵の賜
     である」(隠修士マルコ)

    故に、人間の力で可能なものを神に捧げ
    るがよい。絶えず祈るという捧げものを
    神に差し上げることから始めるのだ。そう
    すれば、神の全能の御力が人間の弱さを
    消し去ってくださるのである。無味乾燥で、
    気の散ったものではあっても絶えず祈る
    ことが習慣となり、第二の天性となるであ
    ろう。
    その時祈りは清らかで、熱意ある、力強
    いものに変えられる。

 (ヘ)己の時間をすっかり祈りに費やすとしたら、
    必然的に罪深い行いや、思いに耽る時間
    は残っていないことになる。

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